常泉寺は、
身延山を総本山と仰ぎ、
四百年以上の歴史の中で
「法華経」の教えを説いている
日蓮宗のお寺です。

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日朝上人

日朝上人と常泉寺

日朝上人

常泉寺は昔から眼のカミサマ「日朝さんのお寺」と呼ばれてきました。 日朝上人は、正しくは行学院日朝上人といい、身延山久遠寺の第十一代の法主を務められた方です。 日朝上人は、室町時代、日蓮聖人ご入滅から二百年後に伊豆国宇佐美(静岡県伊東市)にお生まれになりました。三島本覚寺の日出上人のもとで修行と学問研究に努め、やがて本覚寺を継承します。 若き日の日朝上人は相模の地方に精力的に伝道し、多くの人を導き、各地に寺院を建立したことで全国的に名声を高めます。やがて、その功績によって、寛正3年(1462)に身延山久遠寺11世の法主となります。 その頃の身延山は教勢が著しく低迷していました。この身延山の復興に尽力し、伽藍の移転整備、月次・年中行事の制定、日蓮聖人のご遺文の収集と注釈など、寺門経営とともに師弟教育と教学振興に努められました。明応9年(1500)旧暦6月24日、79歳で遷化されました。 日朝上人61歳の時、永年にわたるご苦労のために両眼失明の厄に遭われました。それを自らの不徳として懺悔し、ますます精進を続けられましたところ、経力により眼病が快癒なされるという奇瑞を示されました。そのことの縁で67歳の時に、「眼病消滅本尊」をお書きになられ、後世、法華経を信じ、お題目を修行する人がもし眼病で苦しんでいたら、その人を守護して平癒させるという誓願を立てられました。 以来、「眼のカミサマ」、また、偉大な学問的功績のために「学業成就の神様」として多くの人々より親しまれることになりました。眼病に悩まされましたが、法華経信心の功徳によって回復されたという逸話によって、以来「眼病守護の日朝上人」、すなわち「眼のカミサマ」と崇める信仰が広がりました。 常泉寺では、日朝上人のご命日、7月24日(旧暦の6月24日)に近い土曜日に「日朝さんのお祭り」を開催し、多くの方のご参詣をいただいております。

行学院日朝上人御遺文

「眼は、これ人の魂にして、
能くその徳を現す。
万一、一眼も失明せんか、
人間の一生は、暗路なるべし。
不幸、これに過ぎたるものやある。
われこの哀れなる人々の眼を守護せん。
しかして、我滅後三日おき、
棺を開き見るべし。
その両眼明らかなれば、
この誓願の空しからざる証明なるべし。」

日朝上人略歴

一四二二年(応永29年 室町幕府五代将軍義量) 伊豆宇佐美に生まれる

「日本開白以来土民蜂起是初也」(『大乗院日記日録』)「土民蜂起」の頻発

一四二九年 三島本覚寺で出家

一四四〇~四十五年 各地に遊学 武蔵国・京都・奈良・比叡山・下野足利学校(儒学)等

一四四〇~六十年 各地談林で法華経・天台学の講義

一四六一年 身延山第十一世法灯継承(法主歴三十八年)

身延山での主な業績
西谷より伽藍の総移転 年行事・月行事の制度を定める
宗祖の御遺文の蒐集…『録内御書』・『録外御書』の編纂、門下教育
著作活動(『元祖化導記』『補施集 百十二巻』『法華講演抄 三十六巻』等多数)

一五〇〇年 (明応九年六月二十五日)ご遷化 法寿七十九歳