日蓮宗は、鎌倉時代に出現され、末法の乱れた世のすべての人々を救い、この世界を平和な仏国土とするために、その生涯を捧げられた法華経の行者日蓮聖人の教えを信奉する教団です。 日蓮聖人は、仏教の開祖釈尊が説かれた多くの経典のなかから、とくに『妙法蓮華経(略して法華経という)』を選び取られ、根本聖典とされました。そして、法華経の教主釈尊(しゃくそん)を本師と仰がれ、自らは本師釈尊から法華経の弘通を任された仏使であるとの自覚に立たれて、法華経の教えを実残されました。したがって、釈尊と法華経と日蓮聖人とが、日蓮宗宗徒の帰依すべき仏・法・僧の三宝となります。 このことを『日蓮宗宗憲の第一条(伝統)』には、「日蓮宗は久遠実成本師釈迦牟尼仏から、その本懐である法華経を、仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期に仏教を広げること(弘通)を託された本化上行菩薩の応現、日蓮聖人が開創唱導した真実の仏法を開顕する仏教正統の宗団である」と表しています。
名称
日蓮宗(にちれんしゅう)
宗祖
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)(鎌倉時代1222~1282)※私たちは敬意を込めて「お祖師さま」と呼ぶのが通例です。
開宗(かいしゅう)
建長5年4月28日(西暦1253年・鎌倉時代)
本尊(ほんぞん)
久遠の本師釈迦牟尼佛(くおんのほんししゃかむにぶつ)
題目(だいもく)
南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)
総本山
身延山久遠寺
日蓮宗の教義(きょうぎ)
日蓮宗はお釈迦さまの説かれた「法華経」をよりどころとする教団です。この「法華経」を身をもって読まれ布教をせられた日蓮大聖人を宗祖と仰いでおります。本宗の教義は法華経の魂をお題目に込められた宗祖の教えに導かれて、私たちが信行に励み、この教えを広めることによってやがて世界平和と人類の幸福、ひいては個人のしあわせにつながることを信じて行動する教えです。
根本教典
『妙法蓮華経』(みょうほうれんげきょう)略して『法華経』(ほけきょう)
2月15日 釈尊涅槃会(しゃくそんねはんえ)
釈尊(釈迦牟尼仏・ブッダ)がインドのクシナガラにおいて、80歳で涅槃(ニルバーナ)に入られた聖日。
2月16日 宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)
宗祖日蓮聖人が、承久(じょうきゅう)4年(1222年)2月16日、千葉県小湊でお生まれになった聖日。日蓮聖人がお生まれになった日には、庭先で泉が湧き出し、浜辺には白い蓮の花が咲き乱れ、深海の鯛が岸辺に群れ寄ってくるという不思議な現象が起こったといわれています。令和三年、宗祖御降誕八百年を迎えました。
4月8日 釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)
釈尊が釈迦族の王子として、今からおよそ2500年前の4月8日、ネパールのルンビニー園でお生まれになった聖日。一般的に「花まつり」という名称で親しまれています。
4月28日 立教開宗会(りっきょうかいしゅうえ)
京畿遊学を終えた日蓮聖人が、建長(けんちょう)5年(1253年)4月28日、生まれ故郷である千葉県小湊の清澄寺で法華経の弘通を宣された聖日。
5月12日 伊豆法難会(いずほうなんえ)
日蓮聖人は、文応(ぶんおう)元年(1260年)、正しい教えに目覚めない鎌倉幕府に『立正安国論』を上呈します。弘長(こうちょう)元年(1261年)5月12日、日蓮聖人は反感を持つ者のざん言により、幕府によって捕らえられ、伊豆へ流罪となりました。
8月27日 松葉谷法難会(まつばがやつほうなんえ)
『立正安国論』を上呈し、他宗の非を示したことで、日蓮聖人は命を狙われます。文応元年(1260年)8月27日夜半、松葉谷の草庵に、聖人を憎む者が暴徒をさしむけ、草庵を焼き討ちしました。
9月12日 龍口法難会(たつのくちほうなんえ)
文永(ぶんえい)8年(1271年)、日蓮聖人が幕府や諸宗を批判したとして、聖人は幕府に捕らえられます。その当日の9月12日の夜半、ひそかに頸をはねてしまおうと龍ノ口の刑場に引き出されますが、にわかに雷鳴とどろき光り物が出現して難を免れたと伝えられています。
10月10日 佐渡法難会(さどほうなんえ)
龍ノ口での処刑を免れた後、文永8年(1271年)10月10日、日蓮聖人は佐渡流罪と定まり、愛弟子や信徒を気遣いながら佐渡へ流されました。罪が許されるのは、それから3年後。聖人の予見した蒙古襲来を告げるフビライからの国書の到来によってでした。
10月13日 宗祖御会式(しゅうそおえしき)
体の衰えと長年の弘通の疲れにより、身に病を得た日蓮聖人は弟子の勧めで常陸の国(茨城県)へ湯治療養に向かうため身延山を下りました。途中、病状が悪化し、弘安5年(1282年)、武蔵国(東京都)池上氏の邸で療養されますが、10月13日の朝8時半頃、60年に及ぶ波乱のご生涯を閉じられました。現在、東京都大田区にある池上本門寺の宗祖御会式には、各地から多くの方が訪れています。
11月11日 小松原法難会(こまつばらほうなんえ)
文永元年(1264年)11月11日、安房国小松原(千葉県鴨川市)で、念仏信仰者であった地頭の東条景信に襲撃され、弟子2人が殉死、2人が重傷、自らも左腕を折られ、眉間に三寸の傷を負われました。 現在、その時の傷が痛まないように、寒い季節には日蓮聖人像の頭に綿帽子を被せる習慣があります。※上記の伊豆法難・松葉谷法難・龍口法難・小松原法難を合わせて、日蓮聖人の四大法難に数えられおり、日蓮聖人の苦難の生涯を追想するために行います。
※上記の伊豆法難・松葉谷法難・龍口法難・小松原法難を合わせて、日蓮聖人の四大法難に数えられており、日蓮聖人の苦難の生涯を追想するために行います。